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政党政治と大政翼賛会

政党政治大政翼賛会とは何か?

特に大政翼賛会をよく理解している生徒さんは少ないなというのが私の印象です。少しだけ詳しく解説しましょう。

 

まずは【政党政治】について。

政党とは近い政治理念をもった人たちが集まって作るものです。今の日本でいうなら自由民主党公明党、立件民主党共産党日本維新の会などがあげられます。

国会の場だけでなく、例えば地方の〇〇県〇〇市の市議会だけで活動している【地方政党】なんかもあるんですね。

そして議会においていくつかの政党が競いあいながら行われる政治が【政党政治】です。これは現代の日本の政治システムで、難しい話ではありませんね。

付け足しをすると、アメリカやイギリスは特に大きな2つの政党が競い合って政治を行う二党制(二大政党制)、中国のような独裁と言われる国は政党が1つしかない一党制(一党独裁)と言ったりしますね。

高校でこの部分を学ぶと、さらに細分化されて一党優位政党制(日本の自民党など)、ヘゲモニー政党制、分極的多党制という具合に覚える語句が多くなります。とりあえず中学レベルではアメリカの民主党vs共和党や、イギリスの労働党vs保守党の二大政党制という言葉だけは押さえておきましょう。

 

で、【大政翼賛会】とは何か。

これは1940年からの政治体制です。

日本は1925年男子の普通選挙法~1932年の5・15事件(犬養毅首相暗殺)までは今と同じような政党政治、つまり政党の政治家から内閣総理大臣が選ばれる政党内閣制をとっていましたが、1930年代は軍部が力をつけてきた時代です。犬養毅首相が軍人に暗殺されてからは政治家ではなく、軍人が首相になるなど8年続いた戦前の政党政治は終焉を告げたわけです。

1937年からは盧溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争が泥沼化、1939年から第二次世界大戦が勃発しました。このような情勢下で、第二次近衛内閣は非常時の意思決定がスムーズになるような一党制を目指しました。それが大政翼賛会となったのです。それまで存在した政党は解散し、政治家たちは大政翼賛会に合流しました。

政治の上層部に反対できる勢力がなくなり、首相が右向け右!と言ったらみんながそれに従わないといけない体制になってしまったのです。

ちなみに大政翼賛会一党独裁制を目指して作られた組織ですが、それ自体は政党ではないということだけ頭に入れておいてください。結局、近衛首相が作ろうとした一党制にはなりませんでしたが、独裁を行うために大いに機能した組織だというふうに覚えてばokです。